Place of scenic and historic interest


なごや
史跡探訪
幻の古道
鎌倉街道



鳴海方面から熱田方面への鎌倉街道のル-ト
鳴海方面から熱田方面への鎌倉街道のル-ト
上の略地図は今から八百年余り以前、鎌倉街道が出来た頃の大まかな松巨島を中心とした概略図です。
笠寺台地は島だったのです。周囲は干潮になると遠浅の干潟になっていたようです。
中央部分が現在の名古屋市南区、左上の一部が熱田区、中央の上のほうが瑞穂区の一部、右側の八剣社までが天白区、古鳴海公園から下が緑区の一部です。海岸線は推定で正確な事は、簡単にわからない。
松巨島を通る鎌倉街道は幾通りもあったようですが、下記の道筋が考えられます。
@大喜村→本井戸田村→白亳寺→村上社→古鳴海→相原→二村山
A大喜村→北井戸田村−鳥栖八剣社→古鳴海→相原→二村山
B大喜村→本井戸田村−中根村→島田−野並→古鳴海→相原→二村山
C熱田→白亳寺→@・Aのコ-ス
D熱田→白亳寺→笠寺→三王山→相原村
南区呼続周辺の現存する鎌倉街道の中の道・下の道
南区呼続周辺の現存する鎌倉街道の中の道・下の道
この地域には鎌倉街道の中の道・下の道・東海道・塩付街道などの旧街道が通っている。
この台地は笠寺台地とよばれ、見晴台遺跡を始めとして多くの遺跡・史跡が残されて歴史の濃い地域です。
鎌倉街道 桜   村上社のくすのき
鎌倉街道 桜   村上社のくすのき
野並の八剣社の聖松と桜村の村上社のクスノキは鎌倉時代から、旅人の道標として使われていたと思われます。
この樹木は根廻り約13.2m、地上1.5mの幹廻り約10.8m、樹高20mの巨木で樹齢1000年以上といわれています。
この大地の下から古鳴海へ渡し舟が発着したという。「万葉集の高市連黒人」の歌の碑がある。名古屋市の天然記念物に指定されています。
『桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る』
 
 
尾張名所図会に描かれている桜田の古覧
尾張名所図会に描かれている桜田の古覧
2007.08.30鎌倉街道 元桜田町 道標
2007.08.30鎌倉街道 元桜田町 道標
桜本町交差点の一本東の道を南に入った三叉路の西側にあります。鎌倉街道沿いに立っていたと思われます。
右 なごや道が、熱田の古渡の方を示し、左かさでら道と刻まれています。
2007.08.30鎌倉街道  寺崎町の鎌倉街道中の道
2007.08.30鎌倉街道  寺崎町の鎌倉街道中の道
桜本町交差点から北へ進み三本目を西に回った道が鎌倉街道です。
約700mの道が昔のまま残っています。旧東海道を横断して白亳寺にたどりつきます。道幅は九尺道で当時のままです。
2007.08.30鎌倉街道 呼続3 黄竜寺
2007.08.30鎌倉街道 呼続3 黄竜寺
創建は応仁二年(1468)で龍玄寺といった。宝暦八年(1758)寺号を黄竜寺と改めた。この寺が所蔵する菅原道真の真筆画像は熱田の誓願寺から遷座したといわれ、その由来記が尾張恂行記にある。現在の山門と寄棟造りの本堂・禅堂は明和四年(1767)に再建されたものである。
2007.08.30鎌倉街道 黄竜寺横の秋葉神社
2007.08.30鎌倉街道 黄竜寺横の秋葉神社
2007.08.30鎌倉街道 呼続3 湯浴地蔵尊
2007.08.30鎌倉街道 呼続3 湯浴地蔵尊
地蔵院に安置され、鎌倉時代に鋳造されたと伝えられる高さ2.3mのめずらしい坐像である。湯浴とは、人々が湯を浴びせ祈願したことに由来する。戦災と伊勢湾台風の被害にあい、今では仏頭と両手だけが旧形をとどめている。
2007.08.30鎌倉街道 呼続3 湯浴地蔵尊
2007.08.30鎌倉街道 呼続3 湯浴地蔵尊
2007.08.30鎌倉街道 呼続3 東海道と鎌倉街道の交差地点
2007.08.30鎌倉街道 呼続3 東海道と鎌倉街道の交差地点
鎌倉街道が東海道と交差している地点です。
2007.08.30鎌倉街道 呼続3 鎌倉街道中の道  南⇒北
2007.08.30鎌倉街道 呼続3 鎌倉街道中の道  南⇒北
東海道筋から見た鎌倉街道の北、桜本町方面。
2007.08.30鎌倉街道 呼続3 鎌倉街道中の道 北⇒南
2007.08.30鎌倉街道 呼続3 鎌倉街道中の道 北⇒南
東海道から見た鎌倉街道筋、前方の森が白亳寺です。
2007.08.30鎌倉街道  白亳寺
2007.08.30鎌倉街道  白亳寺
2007.08.30鎌倉街道  白亳寺
2007.08.30鎌倉街道  白亳寺
白亳寺は元亀2年(1571)の創建と伝えられる。昔、この辺りはあゆち潟、知多の浦を望む勝景の地であって、万葉歌人などが歌に詠んだところである。
名勝・旧「年魚市潟」展望地として、名古屋市の指定になっている。「あゆち」は「あいち」に転じ県名の語源となった。
また、源頼朝が京都へのぼる途中、ここに休んだので桟敷山とも言われる。境内には勝景跡の碑や歌碑、芭蕉句碑などが点在しています。
門前の2本の大楠は名古屋市の保存樹になっています。かって周り7.5mほどの巨松があって、これを頼朝公物見の松ともいった。境内は、佐久間信盛の砦跡ともいわれています。
2007.08.30鎌倉街道 白亳寺 年魚市潟勝景碑
2007.08.30鎌倉街道 白亳寺 年魚市潟勝景碑
尾張名所図会に描かれている呼続浜古覧
尾張名所図会に描かれている呼続浜古覧
文政5年(1822)に書かれた『尾張徇行記』には桜村について『古街道ノ跡於今遺レリ 其道支邑六本松ヘカカリ 其先圃中ニ老楠樹一株アリ 是古鳴海ヨリ目当ノ樹ナル由村人イヘリ 府志ニハ 此古楠樹ノアル所ハ永禄中山口左馬助居之トミヘタリ 其事末ニ記セリ 又山崎村西町ニハソノ西ノ方ニ白豪寺トイヘリ古寺アリ 門内ニ物見松トテ高ク聳ヘタル老松一株アリ 是モ古街道ノ跡目当トナレリ 即其アタリヲ呼続ノ浦ト又ハ浜トモイヘリ』
2007.08.30鎌倉街道 白亳寺本堂
2007.08.30鎌倉街道 白亳寺本堂
2007.08.30鎌倉街道 白亳寺 芭蕉の春雨塚
2007.08.30鎌倉街道 白亳寺 芭蕉の春雨塚
   『春風や戸部山崎の屋根の苔 はせを』
と刻まれています。背面には三句彫ってあるようですが、風化して読めません。芭蕉が旅の途中、景色のよいこの辺りで休憩して詠んだ句といわれる。鎌倉街道の中で白亳寺や二村山峠は、景色がよいので、多くの旅人が休憩したところであったようだ。
2007.08.30鎌倉街道 白亳寺 万葉集歌碑
2007.08.30鎌倉街道 白亳寺 万葉集歌碑
『年魚市潟 潮干にけらし知多の浦に 朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ』
高台であるから見晴らしがきけば、松巨島当時の有り様を想像もできようが、今では、回りの木があまりにも大きく茂りすぎて、そこに立っても何も見えません。ただ車の行き交う音のみ聞こえます。
2007.08.30鎌倉街道 白亳寺の北側に残る鎌倉街道の中の道
2007.08.30鎌倉街道 白亳寺の北側に残る鎌倉街道の中の道
白亳寺の北側を西へ向かう街道である。
突き当たりを右へ曲がり、坂を下りたところが、今の青峰通りであり、かっては海であった。船で北へ向かえば井戸田・大喜村方面へ行くことができた。

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